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火花

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大学はデザイン系の市立大学でしたが、そこに強いこだわりや志があったわけではありませんでした。料理やそれにまつわる食物などには興味があったので、元々は名門大学の農学部に入ってバイオの研究ができたらなんて考えていました。けれども、高校に入ってまじめに勉強などしていなかったので諦めざるを得なかったのもありました。もしの時にたまたまみつけた楽しそうな学科というだけで受けたので、未だになんで入学できたのかはわかりませんでした。他の同級生たちは予備校のデッサン教室などに通って、そこを目指してきている人ばかりだったので、自分の肩身が狭いような感覚だったのを覚えています。

そんな感じで特にあてもなく入ったので、何かを模索するようにいろいろなことに挑戦して勉強したりしていました。他の同級生たちは何か芯のようなものを持っている気がして、他の人にはない、違う路線でいろいろ模索していたと思います。 和紙を使った照明のプレゼンテーションでギターを弾いてみたり、映像を作っているクラブに入って動画の撮影・編集を学んでみたり、作曲ソフトを使って音楽を作ってみたりと。カメラもその一つで、最初はコンデジ、その次にデジイチポラロイドカメラsx-70を使ったりましました。

写真集や個展もよく見に行きました。川内倫子さんの写真は好きでよく拝見していました。家の近くの本屋に散歩に出かけては、写真雑誌もずっと眺めたりしていました。 最初は何か良い感じに見える特徴的な風景を撮っては集めて、好きな音楽でスライドショーにするとなんだかすごくいいもののように思えて。調子に乗って自分でかってに写真集を作ったりなんかしていました。それも、とりあえずできそうな方法で、自宅のプリンタですべて出力して自分で製本して。製本だけで一つ作るのに1〜2週間くらいかかってました。

写真を学んでいてその前と大きく捉え方が変わったのが、花火の写真を見た時でした。それまで写真というのは、風景の一部を切り取る道具のような、そんなざっくりとしたものとしか思っていませんでしたが、花火の写真を見てからきちんと勉強して、写真は光を焼き付けて捉えるものだとわかったのです。

順序立てて考えてみればそうで、私の小さいころといえばフィルム写真で使い捨てカメラや親のデジタルフィルムカメラを使ったりしていましたが、フィルムに光を(で)焼き付けていたのでした。仕組みも含めて改めてちゃんと学んで、もう一つカメラの楽しさがわかった気がしました。それから、雑誌に載っていたような花火の写真をどうやったら撮れるのだろうと考えて試して撮っていましたっけ。

しばらくは、なんだか良い感じだとか面白いトリッキーな写真を楽しんでいたのですが、梅 佳代さんの影響もあったと思います。特になんでもないような、でも自分の心が動くような写真を撮るのがいいのかなと思った時期もありました。テストが半日で終わって、友達とでかけた東山動物園の時の写真は、どれも未だにエピソードを思い出せるようなものばかりで懐かしい気持ちになります。それも毛皮の表紙にして3冊だけ製本したっけ。

iPhone 3Gが発表されたくらいから次第にカメラは持ち歩かなくなりました。重いしスマホのカメラでいいというのもあったとは思いますが、レンズは覗いていなくてもいつもカメラ越しに見ているような自分が嫌になったのだと思います。なんだか、写真に撮ることが大切になっているようで、少し嫌いになってしまったのです。それからは料理などの物撮りはしてましたが、それくらいです。

最近あらためてもう一度カメラを学び直そうと思い、重いカメラを持って少し無理をしながらも写真を撮っています。先日の隅田川の花火大会で久しぶりに花火の写真も撮りました(上の3枚が2016年に撮ったもの)。あの頃よりも良い道具のおかげで、綺麗には撮れているし、久しぶりの感覚に嬉しいなという気持ちで夢中で撮っていました。うまく撮れた写真は昔のものよりもどれも綺麗に撮れているのに、なぜだか昔の方が良いなと思います。もう昔のように撮ることはできないのかもしれないのだなぁ。

f:id:kudakurage:20160731100338j:plain photo by © Kazuyuki Motoyama 2008