積読と複読。言語処理能力。


最近は一層に読書をする努力をしている。努力をしていると言うと、いやいやしているという感がするかもしれないが、全く逆で本を読みたいという欲求は高まるばかりだ。


お金を払って優れた知識を得られる最も簡単な手立ては、今のところ本が一番じゃないかと思う。
今ではWebで検索するという方法もあるが、やはりより確実に優良な情報を得たいと思ったときには本だろう。


最近、読まない本がたまっていくことを「積読」などと言ったりするが、私はこれに当てはまる。
決してそれを推進しようなどとは考えていないが、自分の知的好奇心の増幅にともなって増える本を読書するスピードがあまりに遅いのが原因なのは分かっている。


本を読むスピードを速くするためにはどうすればいいのか?という質問に対して返ってくる答えは、ほとんどが「たくさん本を読むことだ」というものだ。
これはある意味矛盾していて、「本をたくさん読みたいけれど→本を読むスピードが遅い→なら、本をたくさん読め」という堂々巡りを繰り返すことになる。
もちろん、そういった努力によって多少なりとも本を読むスピードは上がったようにも思えるが…。


私が自覚していることとして「本を読むスピードが遅いのは、自身の言語処理能力が低いから」ではないかと思うことがある。
(これに関しては、うまく比較することができないので、事実そうであると断定できないのだが。)
言語処理能力が低いため、本のある1行を読み、次の行に進んだときにもう一度前の行を読み返して確認するなどという作業をしてしまうのだ。
このように、完璧に理解してから次に進むという方式は非効率的であるということは分かっている。
しかし、悲しいかな私にはそんな癖があるのだ。
(でも、そのおかげで一冊の漫画は私に人よりも長時間の楽しみを与えてくれているのだが。)


私は「知的好奇心の増幅」と「自身の言語処理能力の低さ」という2つの特質から、「複読」という新たなる選択をした。
「複読は楽しいよ」と本好きの友達からはよく勧められていたが、違う本を同時に読み進めていくなどという芸当は本好きのやることだと思っていた。
しかし、私は自身の悩みから「複読」をすることを余儀なくされた。


やはり、自分にとって「複読」はすごく非効率的なことだった。
なかなか本は読み終わらず、本当に理解できているのかと疑問も出てきた。けれど、複読のおもしろさは何となく分かった。
複読を勧めたやつはよく「いろいろな内容が頭の中で混ざって、違う見解が生まれてくる」と言っていたが、まさしくそんな感じがした。


とは言え、今の自分にとって非常に効率の悪いことには変わりない。
私は根本から「読書の仕方」というものを見直すことにした。
それまでは、うまく理解できていないことがあると思えば、1行でも1ページでも前に戻って読み返したが、それをやめることにしたのだ。
少し理解できていなくてもとにかく先に進み読み切る。


全てを理解する必要はないと割り切ることにした。
重要なのは、要点とキーワードをうまく抽出し、自分の中の知識と融合させていくことなのだと考えている。
その点で、今もごくたまに行を戻ることはあるが、読むスピードは格段に上がって、それによって得られた知識もさほど変わらないと思う。
(何度も行を読み返して読んでも、読むのが遅すぎて最後の方ではかなり忘れてしまっているし…)


大切なのは本の中身を全て理解することではなくて、その中に散りばめられた必要な知識を適時俊敏に取り入れる力を身につけることだ。