連載|リファラルマーケティングの罪とBest Friended Design

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アプリやサービスのよくあるマーケティング施策として「あなたのコードから他の誰かが使ってくれたら、あなたにも相手にもこんな恩恵がありますよ」というのが最近は好きになれずに基本的に使っていない。

これは完全に個人的な感情の話なので、それ自体を否定したいわけではない。

ただ、その気持ちの理由は何だろうと思っていたけど、ダークパターンほどではないが、自分に利があることを隠して他人に勧めているところに後ろめたさを感じる部分があるんだと思っている。

相手にも利があるのだから良いのでは?サービス運営側にも利があって三方良しなのでは?とも思えるのだろうけど。純粋な気持ちでオススメしてるはずでも「アイツは自分の利のためにやたらとオススメしてるな」と思われるのではないかみたいな被害妄想が働いてしまう。

現状の市場ではよくやられていて消費者行動心理的にはうまくいく施策なんだから考えすぎで、自分のほうが少数派なんだろうという気もしている。

けれど、そういうスッキリしないエモーショナルな部分というのはプロダクトの性格として、すごく現れてくるような気もしている。

いっそのこと「このコードから使ってもらえると、私にもこんな良いことがあるから、みんな使ってくれ!」と正直に言ってしまったほうが、そういった後ろめたさは感じないように思う。

それを騙すように「このサービスはめちゃくちゃいいからみんなも使ってみて」みたいに言うのは、たとえそのこと自体は真実であったとしても、もう一つの正直な気持ちを隠しているようで罪悪感を感じてしまうのだ。

より長く親友のように付き合っていくプロダクトというのは、そういったビジネス的な側面だけでなく、心で通じ合えるような感情のデザイン(Best Friended Design)が重要になってきいるように思う。

ベスト・フレンデッド・デザインというのは完全に思いつきのネーミングだが、親友のように正直に腹を割って話せる、支え合える関係性の構築に、ある種これからのブランディングはあるようにも思う。

拡大志向ではなく、共感できる少数の人たちを相手にして、持続的に世界を創り出す考え方として、これはサステナビリティやD2Cのブランディング戦略にも当てはまる部分があるのかもしれない。