連載|地上の落花星

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ピーナッツを茹でて食べるのはおかしいですか?

柿ピーやバターピーナッツといったおつまみなどでおなじみのピーナッツですが、静岡県や千葉県などではピーナッツ(落花生)を茹でて食べるという食文化があり、これがまた枝豆のようにお酒のおつまみにぴったりなのです。

近所の行きつけの中華屋では、枝豆の紹興酒漬けのように落花生を香り漬けにして時々提供しているのですが、これがまたビールが呑みたくなる。

もしかしたら、あなたにとってはピーナッツを茹でることに抵抗感があり、炒ってカリッとさせたピーナッツこそが当たり前の食べ方なのかもしれないが、それはなぜだろう。

世の中にはたくさんの「当たり前」とされることがあるけれど、個人的な性分として「当たり前」と言われていることを「当たり前」のままにしておくことができない。

これは何も「当たり前」とされていることを否定したいわけではない。

単にそれがなぜ「当たり前」とされているのかという謎に対する好奇心が人一倍強いのだろうと思う。

みんなそうしているのだから何も考えずにそうするというのは、人の正常な機能だとも思うし、生きやすい生き方だとも思う。

私もすべてのことに対して突っかかろうなんて体力はないし、大概のことはまず流れに従うという姿勢なので、そういう意味では多くの人と変わらないだろう。

とはいえ、その流れに乗った上で「なぜだろう?」と思うことは多い。

そんなことを考えていても時間の無駄だとという人もいるけれど、私からしてみればそれ以上に無駄にしている時間は他にもあると思うのだ。

世界は無数の「当たり前」とされるいくつもの流れによって構成される海のようだ。

けれどもその海の一つ一つの波には、その波が生まれた理由があり、それらが干渉しあって雑踏のような世界を形成している。

そして、それら全ての波の理由を解き明かしたいというのが、私の密やかな野望のひとつなのだ。

地上にある星を誰も覚えていない

人は空ばかり見てる