「秘密」(東野圭吾)読了


ずっと前から、ずっと読みたいと思っていた本の一つが「秘密」でした。
でも、そのことをずっと忘れていて、つい最近になって、ある人がこの本が好きだというのを見て思い出して買って読んだのです。


事故をきっかけに母親と娘の魂が入れ替わってしまうというよくありそうな話ではあるが、読めば読むほど考えさせられるなぁと思うのです。
主人公たち家族を取り巻く人間関係も、さりげなく家族の在り方や親が思う子への愛を描いていて、読んでいて心に感じる場面が多くありました。


私にはまだ、一生お世話になりたい人も、もちろん子供もいませんが、もし自分に家族がいたならどうだろうと主人公とともに1ページずつ読み進めて年をとっていく気持ちが、じんわりとにじみ出てくるように感じられて、もちろんこの小説のお話は非現実的なものなのだけれど、その少し後ろにものすごく普通でありきたりで、でもすごく幸せな人間の生活が見え隠れてしているような気がしました。


当たり前を忘れる生活って難しいなぁって思ったんです。
今回のお話で、主人公たちは当たり前とは違う不幸にも似たアクシデントがあって、いろいろな幸や不幸を感じたのだと思います。
でも、今が永遠に続けば幸せだと願う人は多くいるでしょう。
もし今が永遠に続いたとしてそれは常に当たり前を繰り返す日々となるわけです。
人間は当たり前になるとそこを見落としがちになるけれど、もしも当たり前を忘れて同じ毎日をいろんな感情を使って生きて行けたら、たくさん幸せを見つけられると思うんですよねぇ。


多くのお話は何か特殊な状況になる当事者人物よりも、それに身近に関わる人物が主人公になるように思う。
今回もそうだ。
これには様々理由があると思いますが、その方がお話全体を客観的に進められて、より入り込みやすいというのも理由の一つかもしれない。
でもそれ以上に、実際に特殊な状況に陥った当事者人物のこころを客観的に伝えることで、本当のところを読者に想像させようという力が強くあるのではないかと思う。


今回の場合でも、実際に娘と入れ替わってしまった母親はすごく悩んだろうし、すごく苦しんだに違いない。
というのは、私の勝手な想像だが、この勝手な想像を生み出したのは間違いなく客観的な描写のおかげだ。
もし主人公が当事者人物であり、「うれしく思った」と書いてあれば、それは誰がなんと言おうと主人公は「うれしく思った」ということになる。
そうなれば、お話に入り込むこともよくよくできないこともあるだろう。


小学校の国語で習いそうな、そんな簡単なことがようやくわかりました。
この年になってようやく国語が分かってきたのです。

秘密 (文春文庫)

秘密 (文春文庫)