「傷はぜったい消毒するな」読了

友人の話から知り、すごく興味深く思った創傷治癒に関して綴った夏井睦さんという医師の方の本です。


創傷治癒は軽度の外傷(擦り傷やちょっとした切り傷、やけどなど)が回復するに当って起きている科学的現象を突き詰めて考え出された治療の考え方で、今までの一般的な治療方法の考え方を大きく覆すものです。
本のタイトルでもある「傷はぜったい消毒するな」という言葉は、いかにもオカルト的な印象を受けそうなものだが、本書に書かれている内容は実に科学的根拠に基づいていて、「信用する」とまではいかなくとも、「考え直してもいいのでは」と必ず思える内容です。

創傷治癒のいいところ

そもそも創傷治癒とは何だろうか?
現在、軽度の怪我をしたときに多くの人がすることといえば、「消毒をする→絆創膏・ガーゼなどで覆う」といったものだろうと思う。
創傷治癒の場合これらの行為は絶対NOとなる。なぜなら創傷治癒の根本は「1.傷を乾燥させない」「2.傷を消毒しない」だ。


まず、1の理由から説明しよう。
傷ができると出血をすると同時に滲出液と呼ばれる細胞成長因子を含んだ液体が傷口がにじみ出てくる。この細胞成長因子が傷の回復を促すための成分なのだ。
つまり、回復力を高めようと思うなら細胞成長因子を傷口に留まらせることが大事になる。その場合、創傷治癒では水分を通しにくいラップのようなもので傷口を覆うことを勧めている。

一般的に行われている絆創膏やガーゼなどで覆うという行為は、傷口を乾燥させて細胞成長因子が活動できない状況に追いやっているということになる。
それだけでなく、ガーゼなどで覆った場合、乾燥しガーゼなどが傷口に張り付き、それを剥がすときに少なからず苦痛を伴うことが多い。さらに災難なことには剥がすときの苦痛とともに治りかけていた傷口をまた悪化させてしまうことだ。これは何度か経験があると思う。
創傷治癒で用いるようなラップなどの場合、傷口とラップの間には滲出液などの水分があるため、剥がすときも苦痛を伴うことなくスルッと剥がすことができる。創傷治癒は乾燥させないことから「湿潤療法」とも呼ばれる。


次に2の理由だ。
消毒薬は主に細菌のタンパク質細胞を破壊するために用いられるのだが、それと同時に皮膚のタンパク質細胞をも破壊してしまう。
傷口に消毒をしたときに痛みを感じるのはそのためだ。さらに悪いことに科学的に見て、細菌の細胞を破壊するよりも皮膚の細胞を破壊するほうが容易だという事実もある。
こうなると消毒薬はただの気休めだとしか思えない。

創傷治癒の場合、消毒は行わずに、流水で汚れを落とし出血を止めるというだけだ。
創傷治癒はそもそもの考え方が「細菌を全滅させる」ではなく「細菌が繁殖する菌床をなくす」というものだ。これはつまり傷口を常に無菌状態にすることは不可能だという事実から来ている。
細菌は単体ではあまり悪性には働かず増殖したときに影響を及ぼすようになる。増やさなければいいのだ。


つまり、創傷治癒は一般的な治療方法に比べて、人体の治癒能力を効率良く高めてくれる治療方法なのだ。

湿潤療法をやってみた

実は、この治療方法を知ってから、怪我をしたら試してみたいなぁと思っていたのですが、その機会は案外と早く訪れた(決してわざと怪我したわけではない)。
最初は、かなり疑っていた部分もあったのですが、試してみてこれは本当なのかもしれないとかなり思いました。
サンダルで歩いていたときに足の指をぶつけてしまい足の爪の間から出血するような怪我をした。
通常ならなかなか直しにくい怪我ですが、創傷治癒を試してみたかった私はとりあえず怪我した箇所の指をラップでぐるぐる巻きにしてみた。
ラップは一日一回交換して、そのたびに軽く流水で洗う。すると、怪我をした次の日にはほとんど痛みを感じないくらいになった。その後も治療を続けて3日後にはほぼ皮膚が覆われた状態になった。
このとき実は爪が半分剥がれているような状態だったのだが、衛生面を考えて剥がれている部分の爪を切り落としても、その下の皮膚はかなり丈夫になっていたようであまり痛みは感じなかった。
その後も続け、一週間もすれば元通り。

今回治療に使用したのはラップだけだ。しかし、ラップは湿潤療法における最良の方法ではないためいくつか注意する点もある。
その辺りの細かいことについては、ぜひ本書で確認していただきたい。
なお、この治療方法の考え方に沿った救急医療用具としてジョンソン・エンド・ジョンソンのキズパワーパッドがあるのでそれを使用することをお勧めする。

本書は創傷治癒からパラダイムシフト、そして進化論へ

本書を読んでいてとても面白く感じたのが、本書の内容がその治療方法などに留まらなかったことだ、
創傷治癒を生み出す歴史についても綴っているが、それ以上に訴えられていることとして「創傷治癒が現代の医療に浸透しないという事実」というものがある。

最適な治療法があるのに、なぜそれが世の中に浸透しないのか?
そこには医学界の大きな組織の問題もあるが、それだけでなく世の中に根強くある「傷を作ってしまったら、消毒をして乾かす」というパラダイムが強く影響している。
そこで著者はこのパラダイムをいかにして新たな理解へと導いていくか、「パラダイムシフト」について記している。
特に第9章の10「専門家と素人で知識が逆転する瞬間」では古い知識に固執する専門家と先入観を持たない素人について書かれているが、医学だけに限らずどの分野でもあり得ることだと強く感じた(いつまでも素人の気持ちでありたいなぁと)。


それからさらに話は「進化論」へと移る。
著者は治癒の科学的解明、つまり人体の科学について解明するには、現在に至った経緯について解明する必要があると考えたようだ。
実は、ちょうどこのとき「みんなの進化論」という本も読み進めていてここでも同じように書かれているのを思い出した。この2つの本が時折共鳴するようで、私は学問というのは常にこうあるべきだというのを強く感じたし、また自分も常に別の分野とも総合して考えられる姿でありたいと思いました(そのためにも隔たることなく常に勉強が必要ですね)。

著者の生み出した一つの仮説

生命進化の歴史から創傷治癒を捉え直すことで著者は一つの仮説をたてた。
これは、ドーパミンなどの神経伝達物質を傷口に外部から散布すると治癒が通常よりも早まるという事実に対するものなのだが、それには進化で経た人体の秘密が大きく関わっているのではないかという仮説だ。
この説はまだまだ仮のものではあるが、証明されれば創傷治癒はますます素晴らしい治療方法だと気づくだろう。
この章では著者が参考にした「皮膚は考える (岩波科学ライブラリー 112)」という本についても少し触れているが、少し興味があるので書店で見つけたときには読んでみようかと思う。

まとめ

最初に本書を手に取ったときは、医療参考書程度にしか思っていなかったが、内容は実に共感できるものが多く哲学的な部分に触れているところが面白かった。
正直、本書の最初の部分では著者の過激とも思えるような発言(タイトルなど)に少しオカルトっぽいイメージも浮かぶのだが、非常に科学的な見解を述べているという部分で納得できることの方が多かった。
現在、本書の考え方はすでに広まっているのかどうかについては知るところではないが、もしまだまだ過去の知識に固執する専門家が多く存在するということであれば、今まさにパラダイムシフトの真っ最中なのかもしれない。