second half

自分がどんな人間であるのか。ほかの誰かにはわかりませんし、もしかしたら自分自身にもわからないのかもしれません。ただひとつわかることは、自分が何をするのか、どのように生きるのかを決めることは自分にしかできないということです。


高校生のころの私は10年後の私を必死に考えましたが、何も思い浮かべられませんでした。今も同じように、暗闇しか見えなくて不安に思う人もいるかもしれません。
その時の私はすでに毎日が幸せだったのかもしれません。幸せを考えたときに今以上ではなくて、今がずっと続けばいいのにと甘いことばかり考えていました。なんでもないような日常ですが、確かに幸せを感じることをできたのです。いつまでもその心を失いたくないと思いました。そして日常のささやかな幸せをそっと支えてあげるような、そういう生き方をしたいと考えました。一度は食に関わる仕事を選んだのも、日常に必ず存在する確かな幸せの一つだったからです。


10年後の私は見えませんでした。自分が何かを始めないと何も始まらないのは確かですが、始めることは勇気がいります。大学生の頃、洋菓子屋に見習いに入ったときも人生を預けるような覚悟でした。シェフはそんなこと1ミリも考えていないでしょうし、かなり大げさに聞こえるかもしれませんが、初めてのことを始めるということはどんなことであっても誰でもそういうものだと思います。
何よりも大切なことは、まず、その心のままにはじめの一歩を踏み出すことです。ごまかして何もやらなければ、何もやらない毎日が続くだけです。はじめの一歩は勢いをつけて谷間を飛び越えるような大変なものかもしれません。でも谷間に向けて足を踏み出してしまえば、案外と風が味方してくれるものです。大切なのはとにかく心のままに行動をしてみることです。間違っていたなら戻ればいいだけなのです。遅かれ早かれ戻るなら、できるだけ早く間違えたらいいのです。また何度も間違えるかもしれませんが、そこには後悔はないと思います。
今でもなにか新しいことを始めるときはあの頃のことを思い出すのです。


ライフスタイルインフレーションを意識することは単なるエコノミーについて考えることに収まらないように思います。他人の人生を生きないことに似た、自分自身と向き合うことが必要だと思うからです。
ライフスタイルインフレーションは日常のふとした瞬間に、それも不意に訪れます。大量生産・大量消費の世代に生まれた私は、所有することが幸せだと思っていたこともあるでしょう。少しでも高くて良いモノを買って手に入れて、棚にしまって何になるでしょうか。少なくともそのモノは私にとって大切なものでも何でもないように思います。自分にとって本当に必要で仕方ないモノは自分の生き方に影響されます。単なる節約の話ではないのです。
ライフスタイルインフレーションを意識することは簡単です。一生という単位で考えれば良いのです。30年後、50年後、それはやっぱり手元にあって、想いを馳せるようなモノとしてあるのか思いを巡らしてみれば良いのです。
ある靴職人は「得るは、捨つるにあり」と言いました。何かを得ようと思うなら、それなりの覚悟が必要だということです。単なる等価交換のような論理的なことではありません。何かを失うことは非常に辛いことです。できることなら何も失いたくはないですが、失う覚悟はときに本当に大切な想いを強くしてくれます。


京都で過ごした2年間はとてもかけがえのないもので、いくつもが私を大きく成長させました。京都はありふれた日常と研ぎ澄まされた精神が混在していて、歩くたびに本当に良い街だなと感じさせてくれます。単調な毎日の中でも、少し歩けば寺社の趣に触れることができます。
二度と戻らない人のことを考えたり、改めて孤独と自由に向き合うには2年は十分な時間でした。子どもの頃から一人遊びの得意な方ではありましたが、それ以上に楽しい発見が街にはいつもありました。それからなんと言っても、飽きることなどない程の豊かな食が京都にはありました。まだまだ楽しみ尽くせていない部分もたくさんありますが、それはこれからのお楽しみということで。


この一年間いくつかの言葉を持って、忘れずに過ごしてきました。「死を見つめる心」という本の中で筆者の岸本さんは何度も問いかけています。今日、死に旅立つ準備はできているかと。「必死」は必ず死が訪れるという言葉通りですね。どうせ私は早死しますからと言っていた、逃げ道のような子供の頃の甘い考えなど今はありません。ただ今日を生きていたいです。


一年前から比べれば少し増えてしまいましたが、もう一度自戒の意を込めていくつかの言葉を書いておこうと思います。


とある占いでこんなことを言われました。
「…一人でひっそり暮らせればそれでいいなどと周囲を煙に巻いておいて、突然姿をあらわしたかと思えば、今こんなことをしているんだと他人をびっくりさせるのです。これ見よがしに!…」
その場にいた友人にはものすごく共感されましたが、そんなに「これ見よがしに!」だったのですかね…。差し当たっては、ひっそり暮らそうと思います…。

駄文散文であった。