解体新ショー

NHKの雑学教育系番組。
たまたま見ていたら結構面白い内容だった。

よく地平線近くの月は大きく見えることがあるのだが、あれは真上にあるよりも空気の層を多く通過するからなんか歪んで見えるのかなぁと思っていたりしていた。
どうやらそれはぜんぜん違うらしい。


人は斜めの線をいくつか引くだけで、そこに空間を感じてしまう。いわゆる錯視。

ちょっと分かりやすいのがなかったのですが、こんな感じ。


全部同じ大きさの円柱だけど、勝手に空間をイメージしてしまって奥にあるものを大きく感じてしまう。
これと同じ作用が地平線近くの太陽や月にも起こって大きく見えるのだという。

つまりだ、大きく見えるのは目に届くまでに像が大きく歪められているということじゃなく、見たものを脳内で処理するときに大きくしてしまっているということらしい。
これはすごい!しらなかった。

これのすごいところは視力に影響するというところ。
視力検査の「C」みたいなのを錯視で大きく見せれば、前までは見えなかった小さいのも見れるのだという。実は見えているのに脳内で勝手に見えないようにしているというか、能力を押さえているんだね。


まぁ、そんなところ。
その次に、視力よりも聴力の方が大事だぜってことで音の重要性について。


よく視力は感覚のほとんどをそこに頼っているなどいうが、時として聴力は視力よりも優先される。

聴力にももちろん空間を感じ取る能力があって、しかも目では見えない位置の情報も取得することができる。さらに、その大体の位置まで特定することができるのだ。


そして、最も聴力が優れているのは時間を感じ取る力である!!
難しい言い方なら時間分解能という、連続している時の間を感じ取れるかどうかという能力が聴力は優れている。


具体的に、視は1秒間に30フレームでコマとコマの間をほぼ感じずに違和感ない連続として感じる。(コマの間は0.03秒)
しかし聴力は、2回の音を0.0004秒(ぐらいだっけなぁ)ぐらいの間をあけて鳴らしてもでも連続していないと判断することができるそうです。


これは、聴力が機械的(電子的?)に音を信号に変えている(→早い)のに対し、視力は網膜で化学的に変換しているかららしい。残像とかも処理が遅いからってことですね。


アニメの口パクが、口パクがあっていなくても自然に感じるのは聴力の方が感覚的に優先されていて、視覚の方の情報をあまり使っていないので自然に感じるとのこと。
番組でやっていたテストでは、卓球のラリーで片方の人の耳にイヤホンをつけて実際の音よりも送らせて聞かせるとどうなるかっていうのをやっていて、0.1秒送らせただけでぜんぜんタイミングが合わなくなっていたのが面白かった。
確かに卓球の「カコーン」っていう音はタイミングをとる重要な情報だよなぁ。


アクションに対して音があるっていうのはやっぱ重要なんだよなぁ。