連載|絡みあった蔓
夢は絶対に持ち続けたほうが良いのか。
これに対して否定しようという人は多くないと思うが、私のような面倒くさい人間は否定もしようというものなのだ。
例えば、その人の夢が圧倒的な性能を持つ飛行機を作ることだとして、それが戦争に利用されるとわかっていたとしても、その夢を諦めるべきでないとその人に言い続けられるのだろうか。
核爆弾や軍用機器などの多くはそういった歴史をおって繰り返していることがままある。
もちろん夢は持つなと言いたいわけであるはずはない。
人間の深みというのは、そういった葛藤の中にこそ生まれるのではないかという話だ。
あえて格好よく「深み」とは言ったが、別の言葉では「愚かさ」とも言うのかもしれない。
物語の多くには、教訓なり作者の気付きなり、何かを伝えようというものが多くあると思う。
ただ世界はある一面からだけで語れるような、簡単なものではないのだ。
表があれば裏があり。じつは側面があったりして、なんと上面もあったりする。
結末を受け取った人任せにした作品がしばし避難されることはあるが、わかりやすい結末とともに与えられた教訓はただの説教とも言えるのではないか。
本来の世界では、真実はただ一つではない。とあえて言おう。
いくら客観的な真実をいくつも集めて組み合わせても、完璧な一つの真実というのは出来上がらないのだ。
答えのない問題に思い悩むような葛藤が人間としての深みを出し、数式のように冷淡には生み出せない感受性を育むのだと思う。
人々がわかりやすい答えの物語にすがるのは、そんな混沌と思慮の世界から逃れたいという逃避願望の末なのかもしれない。
だからこそ葛藤こそが、その人間の深みを作り、美しさを表現するのだと感じているのです。